人に伝えることが大きな力になり、
自分も人も救われる。


 

■「世を益し、人を益する」こととは

 スフィンクスの声に「天祖の恩寵に恩沢るは真に幸福なり」そして「されど天祖の恩寵に徒に酔いて」とあります。

 人は誰もが救われてよかったと喜びそのことに満足します。しかし、それだけでは只自分だけの自己満足の喜びでしかありません。救われた恩寵に対し、感謝のお返しをしなくてはなりません。それが無ければ、「人を益せず世を益せずあることは、甚だ禍毒なること」と仰せになっておられます。

 それは、日々点灯を自分の為だけでなく、世の人々に伝えることです。人々が救われてほしいという祈りは、「世を益し、人を益する」ことであり、その使命に目覚めた人には神の祝福があると仰せになっています。

 これが救いの基本であり、これを忘れて、自分の喜びだけを目的に生きている人は、意識が傲慢となり、周りの苦しみや悲しみを思う心が失ってしまい、それを「怠惰とならん」といわれ、真っ直ぐで正しい心に背を向けた惰性の心に陥ってしまうのです。

■二つの世界を一つにした世界観

 《現象世界》は物質による眼に見える世界であり《精神世界》は心・魂・霊の目には見えない世界です。

 人それぞれ自分の存在を考えてみてください。私達人間は、肉体(物質)と目に見えない精神()の二つが一つになって人として生存しています。しかし人は、眼に見えない世界を忘れ、眼に見える現象世界を主とした物質中心の世界観に陥っています。

 でも信仰する私達は、この心(精神)の世界の大切さを、みことばを通して救世寿様より教えていただいています。つまり、この精神世界が私達の本来の姿「人は神の子」であることをしっかり受けていますと、日常生活、夫婦生活、また家族生活、そして人と人の社会生活の中で、富む富まない、恵まれている恵まれていない等、物質を超えた心の大調和の世界が生まれてくるのです。 これが寿戒の教えを実践する理想の姿であると仰せになっています。だから寿戒を守りなさいというのはここにあるのです。自分達の生活の中で、それこそ大金持ちではないけれど、たとえ質素であっても恵まれた心が生まれ、家庭の中・友達の中に、生きる喜びと調和の心が生まれてくるのです。それが本当の幸せではないかと思います。

■現実を傍観するのでなく救いを願う 

 ところが悲しいかな、現実はお互の悪習慣によって不調和の連続です。でも、心の切り替えを頂きますと今までの発想が、「人の振り見て我が振り直せ」と変わるのです。

 普通は、人の悪いことを非難してしまいますが、人を非難したり裁くのでなく、人を通して自分の悪いところを教えてくれているという受け取り方が出来るようになるのです。それは「汝らの対象は光にして暗きものにあらず」ですから。

 今日のみことばを頂きながら、新聞やテレビの報道を考えますと暗いニュースばかりです。それは人それぞれの罪の原因による加害者であり、また被害者となります。

 しかしこれ等を他人事とは思えません。私たちに災いが降りかかってくるかも知れません。それは、私たちの一人一人の心の中にも原罪による復罪が潜んでいるからです。

 だから色々な災いを傍観するのではなく、人類の一員として悔やむと同時に、その加害者の更正と被害者の痛みを思い「救いを願いなさい」と仰せになっているのです。

■健全な心のあり方

 テレビ番組のアンビリーバボー≠ナ、職人さんが機械に手をはさまれ指を切断した出来事を放映していました。その方が病院に入院していた時、交通事故で両足の膝から下を無くした一人の青年が入院してきたそうです。その姿を見た時、「自分はなんて幸せなんだろう、手だけで済んだのだから」と思ったそうです。そして更に手が不自由な人の為に便利な機械を発明しようと決意したそうです。

 その話を聞いた時、私はすごい感動を覚えると同時に、もし自分だったら、「そんな心境になれるだろうか、みことばを信じきっているだろうか」と思ました。身体に傷害を持つ人がパラリンピツクで金メダルを目指して活躍する姿を見た時も、身体は不自由でも心は健全そのものであると思いました。

 ところが私達は、身体は健康でも心が不健康な部分があると思います。これを思うと、「私達は健康で生かされている喜びを感謝すると共に、形や物質だけでなく、目に見えない精神(魂・心)世界の向上に努め、仕事や生活を磨いていかねばならないと思います。

■日日点灯は広く深い愛の御心

 そしてまた、こういうみことばがあります。それは、「かつての救いは正しき者は天国に入り、悪しき者は地獄に落とされる°ウえであった」が、「先ず悪人の魂を救い清めるのが救世寿の願いである」とみ言葉されています。

 確かに、悪を悪と思わない人、また救われたいと願っている人ばかりではありません。本当の平和や幸福、そして救いが何か分かろうとしない人もいることでしょう。救世寿は、真の平和のために、そのような人々をも救いに導くとおっしゃっているのです。

 皆様が日日点灯を広める活動をする中で、素直に「ああそうですか」と受けて下さる人は何人いるでしょうか。それより、話も聞き入れず断る方のほうがどれ程多いことでしょう。そのような時、救世寿様の広く深い愛の御心を内に感じて「日日点灯の光」をあなたの心に灯してください。救世寿様は全てを救おうとしていらっしゃるのですから。

 苦難があった時こそ、真の救いを伝える使命感を自覚し、非を非とする見方ではなく、その中に輝く真人を見つめる、そういう信仰心を私達は持たなければならないと思います。

 また「唯、天祖の前に跪き、その神秘荘厳を唱誦うのみならず」と仰せになっていられますように、ただ有難い、お蔭様でだけでなく、「生活の場面に、汝の友との交誼の上に、夫婦の生活に、親子の生活に」と仰せになっています。


 自分の信仰心をそこに合わせ、また人々に伝えることによってより大きな力も出て、大きな感動が湧いてくると思います。これは救世寿様の大いなる願いであるということをお互いに自覚し、周りの人お友達の上に点灯の光が灯されますようにご活躍いただきたいと願っています。









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