厳正な命の道

 

みことばの中に「汝ら、命の道をしかと認めよ」とあります。この命の道とは何だろうと思った時、私達の命の道は、寿戒なんだと認識いたしました。それは皆さんもよくお解りのことと思います。そして、寿戒を何故守らねばならないかも、皆さん十分わかっていらっしゃると思います。
私達は、形に現れた悪い事はよく分ります。しかし、心で思っていることはすぐには形に現れませんし、人には理性がありますから、いろいろあっても外には出さずに心の中に持ち続けてしまいます。けれども救世寿様は、心で抑えていても何時か何処かで何かの形になって出てきますよ。
それが生活の中に現れる「貧・病・災」であり、これを切替えるために心の戒律、命の戒律である「寿戒」を定められたのです。その心の戒律が守られていないと、世間体はいくら素晴らしい人でも、何時か必ずその心が形になり、その人格の真偽が問われることになってしまいます。心はものを生み出す大きな力を持っていますから、心を切り替えることが如何に大事であるかということなのです。
信仰するものは弱い者と言われることがあります。しかし、みことばには、「信仰することは、善の道を求め極めること」とあり、その真っ直ぐな道行きには苦難が多いとおっしゃっておられます。低い道行きは楽にして歩み易く、厳しいからと歩むべき道を避け、楽な道を選んだ人の行き先には、苦しみが待っています。
しかし、厳しくても真に求める道をひたすら進んだその先には、本当の目的を達成したという心の喜びがあります。よく山に登るのは苦労だけれど、頂上でご来光を仰ぐ感動があるから何度でも登ったり、冬山は危険と言われるのに、山の素晴らしさに魅せられて登るわけです。これは厳然と人の世に引かれている道理であり道筋なのです。これを私達は、信仰を通してはっきりと教えられているのです。
自分には関係ないと思っていても、命の道という根本的な道からはずれていると、それは赦されない世界なのです。それを信仰上において、罪という言葉で表現します。ですから罪とは貧・病・災であり、それがその身に起きることは、罪の結果なのです。

今頻繁に報じられている「いじめによる殺害」。その結果、償いのために刑罰に服し、何年か無期か、いずれにしても塀の中で苦しみを味わわねばなりません。それは現在の自分だけでなく血縁の命の流れに繋がります。この認識のないことを救世寿様は無知≠ニ仰せになっています。そして、よく「心を清めなさい」と言われ、救世寿様は色んな方法を私たちに示して下さっています。
それは、日日点灯を人に伝えること、日々点灯の光を灯すことは、人を照らすと同時に自分も照らされ、人が救われ自分も救われる相乗効果があるといわれています。
また、お寿戒の道もありますし、救霊の道もあります。特に人々の霊魂を救うことは、暗闇の黄泉の世界に光を点すことです。お盆や命日にお供え物をして供養しますが、ご先祖様が救われるという意識が皆様にはあるのでしょうか。
そういった供養だけでなく、救世寿様の救霊には、迷う霊魂が、救い主の「いづら・とくさ」に清められて、本来の姿に蘇ることにあるのです。本来の姿とは神の子であり、罪のカルマより解き放たれて自由になることです。自由に生きることは霊魂が躍動することであり、救われたご先祖様は活躍します。ですから皆さんもご先祖に願いをかけ、また守っていただき、力をもらう。その働きがご先祖様にはあるのです。だから天祖光教では昇天されたことを第三の誕生と言い、「やすらかに眠ってください」とは言いません。そして月例祭も「開闢誕生祭」といい、沢山のご先祖様の名前が呼ばれて、ほんとにその家代々のご先祖様は喜んで救われているのです。先祖様が救われることは即ち、その流れが善に切り替わって現在の私たちに受け継がれるわけです。その次は子孫に受け継がれ末代繁栄の道が開かれることになるのです。これを「命の道をしかと認めよ」というお言葉でおっしゃっています。
人類が今日まで歩んだ長い歴史は、善いも悪いも様々な出来事によって築かれたことでしょう。けれども大事なことは、今までの悪因悪果・善因善果でなく、人類救済の為にどんな悪因でも善果に切り替えて下さる救い主として「蔽顔の救主」がこの世にあらわれた大きな意義を私達は、認識しなくてはならないと思います。
私達は、そのご縁をいただいたのだから、どんなことがあっても、もう救いが始まっているという、強い信念をしっかり持つことが必要なのです。時に思わぬ苦しいことに出遭ったとしても驚いたり迷ったりする必要はないのです。その為に大事なことは懺悔の心です。
懺悔とは、自分を責めることでなく、救世寿様に委ねることです。いつまでも引きずらないで、「私を赦して生かして下さい」と気持ちを切り替えて救いに結びつける事です。これが、救世寿様の愛の威神力なのです。これが出来た時、自分の過去が喜びと感謝の未来に替わるのです。

この切り替えの愛が形に現れたのが、お守りの「おとくさ」なのです。病気があるから、願い事があるから「おとくさ」を受けるだけでなく、原因となる心の罪を清めて頂くためということが大事なのです。
例えて言い換えれば、病気の熱を冷ますだけでなく、その原因となる病原を治療するのが「おとくさ」の働きと思ってください。それによってはじめて貧・病・災という悪因が、富貴・健全・無事という善果に切り替えられ、これが日日点灯の神髄なのです。
ですから、もう一度振り返っていただいて、自分達は信仰して守られ、救われ本当に幸せなんだということを、よりわかっていただければと思います。今、新聞やテレビを見て、本当に世の中が乱れ、命の道を踏み迷うことがあまりにも多くなっていますけれど、救世寿の証人として、凶悪な人の世の運命の歯止めをするために、信仰心をより高め、日日点灯を世と人の為に普及するよう活躍していただきたいと願っています。









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